
算命学の世界観
私が 星の響き合せ をしようと思ったベースには
算命学と占星術があります。
占星術は知名度が高いので
ご存じの方が多いと思いますが
算命学とはなにか?
知っている人が少ないと思うので
算命学の世界観について軽く書いてみます。
命術
まず前提として、算命学も占星術も
占いの分類「命(めい)・卜(ぼく)・相(そう)」のなかの「命術」に分類されます。
命術というのは、生年月日をもとにして
その人の性質や運勢をみていくものです。
基本的にはその人がもつ素質
・変わらないもの
・変えられないもの
を主に見ていくことになります。
それに対して、卜術というのは
刻一刻と変わっていく現実をみていくもの。
たとえば、タロットや易などがそれにあたりますが
「彼の今の気持ち」「どっちを選べばいいの?」
などを見ていく際に活用されるものです。
そして、相術というのは
その形や状態から判断していくもの。
たとえば、手相や顔相などは
形や線や大きさ、ふくらみなどから
その人の内面や状態をみていくものになります。
算命学とは?
さて、話を戻して
上記のように人の性質や運勢をみていく
算命学ではありますが
そもそも、算命学とは何か?を
私なりに簡単にまとめると
人間は大自然(宇宙)の中に
存在しているのだから(生きているのだから)
大自然の法則が分かれば
それが、人間の中にも存在するはず
という世界観が前提になっています。
そして、自然の法則を元に
人間の運命や性格や因縁など
様々なことを理解していこうとするものです。
といっても
算命学の原形ができたのは
何千年前の古代中国。
その時代は、きっと人の運命よりも
自分たちが生き抜くために
自然の法則を純粋に知りたかったのだと思うのです。
なぜならば、生活と自然現象が直結していたから。
今のように科学技術が進化していない時代は
生活スタイルが農耕や狩猟がメインだったわけです。
そうなると天候や気候が生きることに直結する。
明日を生き延びるために
・どのように季節は循環していって
・いつ寒くなって、いつ暑くなるのか
・作物はどんなサイクルで実るのか
を昔の人は必死で観察し研究したと思うんです。
何とかして
目の前に広がる自然や宇宙の構造を
理解しようとした。
それがある程度分かってきたころ
生活がある程度予想できるようになったところで
この世は同じような構造が
入れ子構造になっているのではないか?
という仮説を思いついた。
自然の法則が
人間の中にも存在するのではないか
と考えたのでしょう。
(何が先で何が後か、真偽のほどは分かりません)
西洋でも天文学が発展しましたが
西洋でも東洋でも
きっと昔の人が知りたかったことは
同じだったのではないかと思うんですね。
どのようにして生き延びるか
そして、そこから
どのように人の人生を豊かにしていくか
の順番に人の興味が移っていったのではない
と思います。
それが独自の文化や民族のベースによって
違った形のもの
西洋だと占星術、数秘術、タロット
東洋だと易、九星気学、四柱推命、算命学
が生み出されてきた
ということなのだろうと思います。
すべての存在はバランスを保つために存在している
大自然の法則といっても
色々と深めていくと
意外とシンプルなことが分かってきます。
そもそも
私たちの生命体を抱えている地球は
単体で存在しているわけではなく
他の天体や太陽、その他のバランスの元に
存在しています。
たとえば、月がなかったら
地球のなかでの海の満潮、干潮はもちろんなくなるし
地球の自転スピードがどんどん早くなってしまうそうです。
そうすると・・
時速数百キロの強風や砂嵐が吹き荒れ
異常気象が頻発するらしい、です。
同様に、他のどの天体が欠けても
今のバランスを維持することが難しくなります。
また、地球という惑星が
今より大きくても、小さくても
重力が大きすぎたり、大気が維持できなくて
生命体を抱えることができません。
すべての存在は、他の存在との間で
絶妙なバランスが保たれているから
この世界に存在することができる。
そうでなくなったら
一瞬にして消えてしまうか
徐々に破滅・消滅へと向かっていくのです。
これは人間にも言えることで
私たち一人一人は
バランスが保たれているから
存在できている。
バランスが崩れるということは
存在できなくなるか
徐々に死へと向かうということ。
もっというと
わたしたちは
この世界のバランスをとるために
必要だから存在している、とも言える。
そう
「世界のために必要だから
あなたは今ここに存在している」
この説明が、算命学に出会った当時の私には
ものすごーく心に響いたんですね。
その人が何をするか
どのように生きるか
何を成し遂げるか
については二の次で
そもそも、宇宙が必要としたから
私たちはここに存在する、と。
私なりの解釈も含まれていますが
この何が響いたかというと
「私は望んで生まれてきたわけではない」
この些細な主張を
誰かに分かってもらいたかったから
ということが今になってみると分かります。
だって、私はこれっぽっちも
この世に未練がなかったから。
だからといって
命を絶つような勇気もエネルギーも
持ち合わせていない。
ただただ、日常を生きているだけ。
そして
「絶望」を歌う音楽に浸って
なんとか過ごしている。
にもかかわらず、私の命や魂は
私の意思に関わらず
必死に「生きる」という方向に向かって
もがいているわけです。
だから
必死に生きている理由とか使命とか
色んなものを読み漁ったり
探したりしていたのですね。
だけど
「あなたの使命はこうです」
「生きている理由は‥」
と言われたところで
「ふーん、それで?」と思ってしまう。
「本当にそうであるなら
私はなぜ今悩んでいるの?
なぜこんなに虚しいでしょうか?
そして、なぜその使命とやらに
たどり着いていないのか?」と。
結局どれだけ探し求めても
満足できない
という循環を繰り返していたわけです。
そんなときに
「宇宙が必要としたからあなたはここに存在する」
という世界観に出会えたことで
(少なくとも私は感じたのですが)
「やっぱりそうだよね」
「私は自分の意志で決めてきていない」
「そう、それを言ってほしかった。」
そんな風に思ったのですね。
不思議なもので、そうなると逆に
「じゃあ、仕方ないから生きてやるか」
という風になったんです。
この世に存在しているということは
どうやら
最低限私の存在という
「五行」が必要なようなので
生かされている間はとりあえず
やりたいことをやってみようか
もっと算命学を深めてみようか
と前向きになってきたということです。
この世の法則として
世界が必要じゃなくなったら
自然と死に直面するらしいので
それまでは、
「仕方ないから生きてみよう」と。
ただの考え方に過ぎないのですが
算命学の世界観が
そのときの私の求めていたことと
ぴったりマッチした
それだけだったとも言えます。
なので、この世界観がピンとこない方は
もっと別の世界観
たとえば
「生まれてきた意味があるはずだ」
という世界観もあれば
「使命は必ず存在する」
という世界観もあると思います。
きっと、自分の潜在的に求めている世界観に
ピッタリなものに出会えたら
人は真に生きることができるんじゃないか
そんな風にも思っています。
そして、人の成長や意識の変化によって
求めるものはどんどん変化していくのだと思います。
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